消費的ちゃん。
消費的な毎日。
バイトも絵も恋も。
物事にまったくもってこだわりがもてない。
絵もね、これちょうだい!って言ったら
何時間かかったやつでももしかしたらあげちゃうかもなってくらい、執着がない。
ただ、メンヘラな女の子がメンヘラだって自覚しないままメンヘラなあたしを馬鹿にしたような話し方をしてくる時だけイライラしちゃう。
そんなしょーもないこだわりしか持てない。
負けず嫌いで生きてたら疲れちゃうって人生の序盤でわかってしまったから誰に負けても平気だし、誰に勝っても平気だし、
勝ち負けとかじゃない。だから負け組とか勝ち組とかいう言葉は嫌い。
勝つのも負けるのも楽じゃない。
人生を勝負にしたくなくない?
あたしはあたしの時間軸でしか生きれないみたいだからあたしの時間軸で、あたしのルールを勝手に敷いて生きて行くしかないことを
はっきりと自覚しているから、
諦めることしかできないのかも。
諦めることができないのかも。
最近変わったことといえば、
最近の曲を聴き始めた。
最近といっても、2000年代以降の。
80年代から90年代にかけて
日本の音楽の自由度がガラッと変わったのがあたしみたいなまったく音楽通じゃない子にでもわかるし、聴いててたのしいな。
ほんとに最近の、米津とかあいみょんとか聴いてるけど、いいなー。
一周回ってまたミーハーになりたくなっちゃった。
ミーハーはね、
小学校の頃に友達の真似してちゃおの付録についてきたKAT-TUNのポスター(ごくせん二期が放送されてた頃)をお兄ちゃんに破かれた時に諦めたんだけど、
昔の文化に浸りすぎて新しいものに触れたくなっちゃった。
インプットしたらアウトプットする癖をつけたほうが成長するってphaさんの本に書いてあったから言うね!今度・・・・
もう今日は眠いから寝るね?
もう今日は眠いから寝るね!ごめんね!
モーニングコールしてね!
あたし、あした朝からバイトだからさ。
あれ、あしたじゃないね、もう今日だ。
あはは。
なんて、お喋りできる彼氏が欲しい、なぁ・・・。
彼氏ができるまではひとりでこうやって寝る前に日記書いてようかな。
あたしが過ごしている日々は毎日全然変わりばえしないから、日記にならないで
結局内面のことばかり書いてしまうのだけれど。
あたしもキラキラしたかったな。いまからでもキラキラしたいって思っちゃうくらいに。
毎日ね、朝起きて(まあ起きれないから11時出勤のバイト先でラッキー)30分くらい電車に揺られておいしいごはん運んで時間になったらおいしいごはんをもらって、20分寝て、またごはんを運んで、終わって、寝て、次のバイトがある日はお酒を運んで、そうじゃなければやっぱりご飯を運ぶかおうちに帰ってお絵描きの続きをするか。粛々と生きてるよ。
いまあたしと同世代の子たちがなにをしているかなんて、見たらお終いだって思うけれど。
たまに他の人と同じ時間軸で生きられない性質のせいで不安に押し潰されそうになっちゃう。
だから誰か抱きしめてくれないかなって思っちゃうんだよね。
でもほんとは自分が自分を抱きしめなきゃならないって知ってるよ。
どんなに愛し合っても、どんなに側にいても
他の人は他の人という
自分とは別の存在なんだ。
混じり合っても決して混じれることはないんだ。そんな当たり前のことをいっつも忘れそうになっちゃうね。
だから毎日自分に「大好きだよ」っていってあげなくちゃなんだって。
わたしはいつもサボっちゃって、
他の誰かを愛したくなっちゃうんだけどね。
あれ、なんの話ししてたんだっけ。
まあいっか。あしたもごはんはこぶの
がんばるね。あたしの1時間を1100円で売って
、あたしはキラキラになれるのかな?
ゆるいにっき。3
いま必要なものは美味しく感じるらしい。
例えば、喉が物凄く乾いている時には水を飲むとめちゃくちゃ美味しく感じるように。
寂しい時の寝落ち通話が至福に感じるように。
わたし、"今"美味しく感じるやりたいことをやることを徹底して生きていきたい。
昔から"今はお前が言っているようなやりたいことをやるな""そんなこと大人になったらいくらでもできるんだから"
と自分の親だったり、大人だったり
昔からの友人に言われたりしてなんとなく流されてやりたいことをやれずに生きてきた。
でも結局は大きくなってそれをやりたい熱は冷めてしまっても、"やらなかった"という心残りだけが残った。
10代中盤までは、"いい子でいなければわたしにはどこにも居場所がない"と思っていた。
親が認めるようなことをひたすらやってきたし、親にとって自慢の娘でいなければならないと思っていた。
高校に入ってから疲れてしまってそういう生き方にほとんどグレた。
本当は親が認めるようないい子でいたかったけれど、自分にはそのポテンシャルがないことに気づいてしまって絶望した。次第にそれまで当たり前にやってきていた朝起きることだったり、普通に授業に集中したりすることがままならなくなっていって、周りの子よりも多少はできると自負していた絵に没頭するようになり、長く続けていた部活動をやめた。
そして絵も18の頃に鬱になるような事情で一度やめてしまった。それでも自分の精神を支える手段が絵しかないから、自分が生きていると実感できる方法が絵を描いて、「描いたよ!」って言うことでしかないから絵を描いている。
鬱時代に親に言われて入った大学も通えなくなってやめてしまった。一年しか通わなかったけれど学費もめちゃくちゃ高かったと思う。
そう。自分は既にいい子ではないのだ。
社会的ないい子でいられるようなポテンシャルがなかった。
だから、自分は自分がやれることが絶対に鬱にならないような楽しい方法で生きていくしかないことを知っている。
周りになにを言われようと、自分みたいな精神的弱者は自分のやりたいようにやっていくしかないのだ。
「明日もやってもいいかな」って思えるようなことを徹底してやっていく覚悟を意識的に持ってやっていないとブレちゃう。
私は元々生きることにそこまで執着がないタイプなので、いろんな大人や強そうな人に洗脳されそうになっちゃうんだけど、もしその人たちのいう通りに生きていてもその果てにまた鬱になったりすることがわかりきっている。
わたしはお金と幸福だったら後者を大切にする人間になりたい。
お金も勿論必要だけれど。鬱時代に幸せな瞬間を味わえない苦しみをわたしは少なくとも同世代のひとたちよりも味わってきたと思う。
ふとした瞬間に幸せを与えてくれるひと、
幸せを幸せだと受け入れられる自分の精神状態にとても感謝している。
ここでは上手に話せないこともあるけれど、
自分は今年に入ってからたくさんの愛のある方々に巡り合って、日々涙がでてくるほどの幸せを感じている。
そういう幸せを与えてくださったひとたちに尽くすことだけで生きて生きたい。それで食いっぱぐれたら死ぬだけだと思う。
現実的じゃないって言ってくれる方もいるけれど、苦手な方法で生きていくのは自分には無理だと割り切るしかないと思ってる。
し、どのような人生を望んでも幸福はその人の覚悟次第なんだろうなって思う。
これからわたしに必要なのはその覚悟を磨いていく作業を、色々な人々に対しての感謝からくる熱量で、美味しい!美味しい!って夢中になってやっていくことだなあってなんとなく思います。むしゃむしゃと。
きょうのにっきおわり。
ゆるい日記。2 平成最後の恋
みんな平成最後の夏!とかいろいろ騒いでるけど、そっか。もう平成終わっちゃうんだ。
わたしは昭和の歌流してるバーで働かせてもらってるんだけど、その影響でか最近では平成を生きている実感すらない。
それどころかなんとなく平成が終わっちゃっても昭和は終わらないんだろうなって思ってる。
だってこんなに連日バイト先で昭和生まれの人たちが昭和生まれの歌で盛り上がってるんだもん。終わるわけがない。
うちらがもっと大人になった頃には、なにかこういう平成を想起させるようなビジネスができてたりするのかなあ。
ていうか、そしたら
いましてる恋が平成最後の恋になりうる可能性があるのか。
10代の頃よりも、恋は輪郭のないあやふやなものになったように感じる。
10代の頃はひとりのひとに対して、この人が好き!この人と絶対一生一緒にいる!みたいな思いがはっきりと、くっきりとあった。
ところが最近、学生ではなくもっと大人のひとたちと接する機会が多くなって
以前よりもいろんな価値観に触れるようになって
終わってみればしょうもない恋だったとしても、内容ではなくてそういう一途な感情をもててたってことだけでも価値があって、とても幸せなことだったんだなあって思った。
いのち短し恋せよ少女!っていうけれど、
いのちを削るような恋愛はもう疲れちゃう。
おばちゃんになっちゃったな。
毎日徹夜してアルバムを作ったり、お誕生日のために何日も派遣入れたり、デートプランを入念に調べたり、いつでも彼氏のことを考えていなきゃならないと思ってた、
あのエネルギーってどっからきてたんだろう。
よくそのエネルギーをもっと生産的なことに使って!って馬鹿にされてたけど、
「まあおまえの人生だしあたしには関係ないからw」って馬鹿にされてたけど
うん。自分の人生だから別にあれはあれでよかった。
よく最近aikoを聴くけれど、
ずっと可愛らしかったり恋で病んでしまったり
するような詩をかけるのって、いいなあ。
見た目も10代の頃から全然変わってなくない?
あたしには斉藤由貴みたいな、50代になってもスキャンダル起こせるようなポテンシャルもなさそうだしなぁ。
ずっと色っぽくいられるのって憧れちゃう。
あたしはこうやってどんどん考え方が変わってって、見た目も中身もおばちゃんになっちゃうのかな。でも、なんとなく趣味が悪いけれど昔から作文とかでも恋愛についてばっかり書いてた。
休み時間になると図書室で林あまりの詩とかばっかり読んでた。
陸上部の男の子に見せて、「全然共感できないwきみって変わってるよねw」って言われたのをおぼえてる。いまはもう変わった子しか周りにいないから特に変わってるとは思わないけれど。
考え方が変わっても考えてることはそういうメロドラマ的なことばかりかも。
このブログも、ツイッターでは引かれてしまうような内容もまあブログにしたらそんなにわかりやすく流れないだろうって考えで始めた。
イラストの活動のために自分の脳内を一から十まで放送禁止にするのはちょっときついものがある。
平成最後の恋は特に自分を傷つけすぎることもなく終わりそう。
もう恋するティーンエイジャーじゃないんだ。
一生ティーンエイジャーでいられる人もいるけれど、あたしにはそのポテンシャルがなさそう。
ポテンシャルないって言葉最近乱用しすぎてる気がするけれど。
きょうの日記おわり。
ゆるいにっき。1
はじめてのプチ個展みたいなのの納品まであと数日。
ほんとうに色々な人に感謝of感謝しなきゃならないまいにちだけれども、
作品貯めてるときうまい具合にsnsに手軽な絵が投稿できてないと
あたしなにやってる子なんだっけ・・・・・
ってアイデンティティを喪失しそうになる笑
もっといろんな場面でいろんな絵を描いて投稿したり見てもらう機会を増やしたいのにキャパシティがそこまでたりないジレンマをかかえてる。
"自称強い系のひとたち"(あたしは社会のことをまだよくわかっていないのでなにがどう強いかどうかもわからない)には「君には教養が足りない」とか、「人間力が足りてない」とか「資産運用したほうがいい」とか「源氏物語読んだほうがいい」とか言われるけれど、そんなことできるようなキャパがないし、別に望んでない。わたしにとっての貯金は、お金のこともあるけれども一刻も早く作品を作ることだから放っておいてほしいっておもっちゃうことの方が多い。長いものがどうかもわからないものに巻かれたほうがいいのかわからない。
自称強いひとの一人に迫られたときに、抱かれたほうがいいのかどっちでもいいのかの判断すら、ちょっとまだよくわからない(誰にも抱かれてないけど)。
先日読んだphaさんの「知の整理術」って本に
よーわからんジャンルのことを調べざるを得ないときは最低三冊そのジャンルの本を読んでみるといいって書いてあったから、納品が終わったら
早急によく詰められるお金のこととか、人間力についてのほんを読んでみようかと思う。
本当だったら大学四年の歳になったし、色々な人に「君はなにになりたいのか」「なにをしたいのか」と詰められる機会もとても増えた。
とりあえずパソコンが欲しい。パソコンをマジで勉強したらそこそこイケてる女になれる気がする。
昔諦めた夢も、別に叶わなくてもいいけれと
諦めた夢と同等のものを手にしたい。
毎日をふつうに、嫌にならずに生きてたい。YouTubeで素敵な動画がみたい音楽が聴きたい。おなかすいたらごはんたべたい。貯金残高10万切らないようにしたい。みたいなことしか考えてない。
あたしってなにがしたいんだろう。
いつも言葉にできない。
ちょっとまえまでは、ただ"生きてたくない"とか、"ずっと彼氏と一緒にいたい"
としか考えてなかった。
彼氏と一緒にいたかったけど、だいたいは
心底尽くしてからふられた。
おかげであまり異性に期待しなくなったと思う。
ふわふわ生きてる。いまは男の人がいなくても
あたしには居場所があると思ってる。
辛かったら相談できるひとがいるし、ひとりになることはないと思ってる。
昔みたいに急に倒れることや、気づいたら道で寝てたりすることもなくなった。
前に通っていた学校に行ったら「憑き物がとれたみたい!」とか、「別人みたい!」って言われてほっとした。
内面はちょっとずつ成長していきたいから待っててくれと思う。
とりあえずもっとたくさん絵を描かせてほしいから他のことは置いとかせてください。もっと魅力的な絵を描けるようになりたいです。ひとめで「あ、これはるかちゃんの絵だ」ってわかるような。とりあえず頭に入れておくので、もっとあとになってからきちんと考えます。
その間いらなかったら見放してもらってても大丈夫ですと思う。
今日の日記おわり。