ゆるい日記。2 平成最後の恋

 

みんな平成最後の夏!とかいろいろ騒いでるけど、そっか。もう平成終わっちゃうんだ。

 

わたしは昭和の歌流してるバーで働かせてもらってるんだけど、その影響でか最近では平成を生きている実感すらない。

それどころかなんとなく平成が終わっちゃっても昭和は終わらないんだろうなって思ってる。

だってこんなに連日バイト先で昭和生まれの人たちが昭和生まれの歌で盛り上がってるんだもん。終わるわけがない。

うちらがもっと大人になった頃には、なにかこういう平成を想起させるようなビジネスができてたりするのかなあ。

 

ていうか、そしたら

いましてる恋が平成最後の恋になりうる可能性があるのか。

10代の頃よりも、恋は輪郭のないあやふやなものになったように感じる。

10代の頃はひとりのひとに対して、この人が好き!この人と絶対一生一緒にいる!みたいな思いがはっきりと、くっきりとあった。

ところが最近、学生ではなくもっと大人のひとたちと接する機会が多くなって

以前よりもいろんな価値観に触れるようになって

終わってみればしょうもない恋だったとしても、内容ではなくてそういう一途な感情をもててたってことだけでも価値があって、とても幸せなことだったんだなあって思った。

いのち短し恋せよ少女!っていうけれど、

いのちを削るような恋愛はもう疲れちゃう。

おばちゃんになっちゃったな。

毎日徹夜してアルバムを作ったり、お誕生日のために何日も派遣入れたり、デートプランを入念に調べたり、いつでも彼氏のことを考えていなきゃならないと思ってた、

あのエネルギーってどっからきてたんだろう。

よくそのエネルギーをもっと生産的なことに使って!って馬鹿にされてたけど、

「まあおまえの人生だしあたしには関係ないからw」って馬鹿にされてたけど

うん。自分の人生だから別にあれはあれでよかった。

 

よく最近aikoを聴くけれど、

ずっと可愛らしかったり恋で病んでしまったり

するような詩をかけるのって、いいなあ。

見た目も10代の頃から全然変わってなくない?

あたしには斉藤由貴みたいな、50代になってもスキャンダル起こせるようなポテンシャルもなさそうだしなぁ。
ずっと色っぽくいられるのって憧れちゃう。

あたしはこうやってどんどん考え方が変わってって、見た目も中身もおばちゃんになっちゃうのかな。でも、なんとなく趣味が悪いけれど昔から作文とかでも恋愛についてばっかり書いてた。

休み時間になると図書室で林あまりの詩とかばっかり読んでた。

陸上部の男の子に見せて、「全然共感できないwきみって変わってるよねw」って言われたのをおぼえてる。いまはもう変わった子しか周りにいないから特に変わってるとは思わないけれど。

考え方が変わっても考えてることはそういうメロドラマ的なことばかりかも。

このブログも、ツイッターでは引かれてしまうような内容もまあブログにしたらそんなにわかりやすく流れないだろうって考えで始めた。

イラストの活動のために自分の脳内を一から十まで放送禁止にするのはちょっときついものがある。

 

平成最後の恋は特に自分を傷つけすぎることもなく終わりそう。

もう恋するティーンエイジャーじゃないんだ。

一生ティーンエイジャーでいられる人もいるけれど、あたしにはそのポテンシャルがなさそう。

ポテンシャルないって言葉最近乱用しすぎてる気がするけれど。

 

きょうの日記おわり。